上天草活性化に思う
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先だっては熊本県上天草の登立商店街活性化協議会に伺った。
上天草が熊本県だと今までも知らなかった。
多くの人はそうだと思う。
これは課題だ。
活性化に向けて一歩一歩進み始めた商店街。
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私は28年間デザイナーとして仕事をしてきた。
デザイナーが自ら地域活性化に取り組んでいる事例は皆無だと思う。
私の場合は、財産も投げ売って、挙句に会社をたたんで、一時は家庭崩壊。
地域商品の販売店やカフェも経営したが、店は閉めてしまった。
カフェは売却した。
スタッフはみんな辞めた。
耕作放棄地で養殖をしていた高級魚ほんもろこは、
盗難に遭い大きな損失になった。
経営能力のない個人主義のデザイナーが、まして女の私ができることじゃない。
そう言われたし、そうかなとも思ったこともあった。
でも、失敗したから人に伝えることが出来る。
いや失敗はやめれば失敗と言われるが、
諦めないうちは失敗ではない。
人生の線の上の小さなグレーの点に過ぎない。
そう、地域活性化事業はやめてはいけないのだ。
やめてしまえば完全に消滅に向かう。

地域活性化はひとりでは絶対にできない。
いろいろな人が関わりながら進めていく。
時にのろく、時に猛烈に。

耕作放棄地耕すに似ている。
田んぼにしようと全体を耕す。
石が多くて耕せないところがある。

活性化はまず全体を浅く広く耕すことからはじめるのだ。
思うように耕せなければ、できるところから始める。
耕しているからどんな土か、どんな石が埋まっているかがわかる。
小さな田んぼでもいい。
水を張って稲を植えてみる。
すると、翌年に水が周囲柔らかくしているから、
石が楽に撤去できることがある。
それでできなければ畑にすればいい。

待ったり、水を入れて柔らかくしたり。
力ずくでは穴が空いて取り返しのつかないことになる。
急ぎたいが急いではいけない。

街づくりは稲作に似ている。
そもそも、日本人は米作りを始めた弥生時代から集落を作り始めた。
相手の成長を待つことができるのだ。

上天草は30代から40代が中心となって動く協議会だ。
若い。
だから組織から離れたりついたりしながらも、
耕したところに稲を植えるのか、麦か野菜か、
適したものを植えればいい。
人も適したところに耕されたところに入ればいい。

必ずいい方にしか進まない。
商店街の店はたたんでもまたできる。
人が動けば必ず情報が動く。
その情報は必ず共感を生む。
自信が新しいことを生み出す。





by oishii-kurashi-no | 2016-03-27 10:35 | 仕事
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テーブルの上の笑顔のあれこれ。
by oishii-kurashi-no